最高の集中、いわゆる「ドライブ」
集中力って大事です。
勉強においてはもちろん、スポーツ・格闘技・楽器などにおいても効果をより上げるなら「集中力はとても重要」という話は、「何を今更」感があります。ですが集中状態にも「程度がある」というのをご存知でしょうか。「2分でこれを仕上げる」的な軽い集中から、周囲の音が一切聞こえなくなって時間の経過を忘れてしまうくらいの深い長い集中もあります。
ドライブって何スか?
集中している状態には濃淡がありますが、その中でも最高の集中状態をドライブ状態と呼ぶのかな?と思っています。心理学者でも医者でもないので、その辺の細かい定義をつっこまれると返す言葉もないのですけどね。最近(と言っても10年20年くらい前)の言葉で言いますと、「ゾーン」という言葉が近いのかな。「ゾーンに入った」等の表現を使いますね。
それがどしたん?って話ですが、子ども達の勉強を見ていると、このドライブ状態に入って自習室で自習しているお子さんがいます。また「この成績の上がり方は、自宅でドライブ状態で勉強してる?」と推測されるお子さんもいます。ものすごい集中、ものすごい上がり方が見られます。ここでいうドライブ状態はある程度の長時間が必要かな、と。テレビなどで描かれるゾーン状態は時間制限が数分と短いですよね。それとは違って、外界からの情報を遮断している状態が30分~数時間続きます。
どうやって経験させるの?
私の数少ない経験でしかないのですが、この「ドライブ状態」で勉強しているお子さんは、幼い頃にかなり自由に育てられているお子さんが多いかな、とは思います。「自由に」というのは、例えばお絵かきをしていたら本人が飽きるまでやらせておく、食事やお昼寝の時間などの「一般常識」にとらわれない育てられ方、とでも言いましょうか。具体的に言いますと、「ご飯が出来たら今やっている作業を一旦やめて、みんなで一緒にご飯を食べる」という「常識」があります。この常識は集団生活を円滑に進めるなら確実に持っていおいたほうが良いと言えるものですね。しかし幼い間にしか存在しない「集中力向上の臨界期(※)」は集中力を徹底的に高めることを優先し、集団生活に必要な一般常識はまあ就学してからやればよい、あるいは保育園・幼稚園で教えられているだろう、という育て方・考え方もあるかと思います。彼らを見ていると、放置ではなく親御様が意図的に適切に関わってお子さんが『楽しい楽しい』と思うように振舞っていた印象もありますね。
あと1つ、これは意外なのですが、「幼いとき全く何もやっていない、本当に何もやらせてもらっていないしもちろん何の評価も受けていなかった子がたまたま勉強にはまって毎日ドライブ状態」、な生徒もおりました。この生徒の場合は、小学校後半に勉強でドライブ状態にさせる為に親御様が意図的に幼少時に何もやらせなかった、評価を受けるのは「勉強での好成績のみ」にしたおかげで、好成績を取った時に周囲が徹底的に一斉にほめるようになって強い自己肯定感が芽生え成績が上がるたびにそれが強化されていった、みたいな伏線があるのかもしれませんけど。
(※)臨界期・・・若い間は特定の能力が集中的に向上する時期があり、それを臨界期と呼ぶそうです。IQはだいたい9歳まで、身長は中学生前後、持久力は高校生前後、病気への対応力は中学生前後などなど。スキャモンの成長曲線もその一部を示したものかもしれませんね。ちなみに集中の深さや持続時間は小学生前半で決まるのかな?なんて思います。もちろんこれは学力がそれ以上高くならない、という意味ではありません。学力というものは、集中力はもちろん興味関心、習慣、環境、IQ、精神状態などの諸能力の総合結果ですので、集中が普通でも優秀になる可能性・方法は無限にあります。さらに集中力が中学生から伸びて来る可能性も否定できません。私がそこまで引き出せなかったのだとも思います。今後の課題の1つです。
後記・・・中学生からでも自己肯定感(俺はできる、俺はかなりすごい)が上がるにつれ、ドライブになる生徒もちらほら見られます。私が気付かなかっただけ、みたいな感じですね。
でも、適性がある印象です
私はお子さんを「一点集中型」「バランス型」という分け方をするときがあります(私はこういう言葉を使っていますが、他の書籍では色々な表現でタイプ分けされています)。それは最善の対応方法をするために私がアプローチを使い分ける為です。どちらが優秀、とかそういう卑俗なものではありませんよ。話がずれてしまいましたが、このドライブ状態はどちらかというと「一点集中型」のお子さんに多い気がします。私が担当するお子さんの年齢が相対的に低い(世間の常識にはそこまで捉われなくても大丈夫な年齢、という意味)、というのもあるかもしれません。バランス型は「次はこれをしなければならない」等の計画遂行・合理性を重視しますから、「もうこれをさえやっていれば幸せ」という一点集中的な過ごし方はあまりしないのでしょうね。ドライブ状態になりやすいのは一点集中型のお子さんがまず候補に入ります。子どもなので夢中になりやすいのでしょうね。
で、もちろん大人になるにつれて(特に日本人は)バランス型に移行するよう、周囲から圧がかかりますからね。
さらなる難問が
またこのドライブ状態に入ることを阻害する大きな要因が2つあります。1つは本人に合った学習内容か、という点です。難易度もそうですし、称賛はあるか、勝った気になれるか、自己有能感が育つか、自分で「私は成長している」と自己満足を感じられるか、その能力は社会に必要とされている(存在価値の有無)か、などの部分ですね。「楽しい」と感じる諸要素がこのような点にあるとされていますが、これを準備するのが非常に難しいですね。身近な例で言うと、代数の能力は高いが図形の能力が弱い生徒は、ドライブを意図するなら問題集をその2つの領域で使い分けが必要になる上に、問題集の問題量が不足しているならさらに追加を考えたりしなければなりません。ここで2つ目の要因です。ドライブ状態を判定できる指導者・発生させられる指導者、がいるか、という点です。意図的に生徒をドライブ状態に誘い込める指導者はかなり稀ではないかな、と思います。当然私も日々試行錯誤しておりますが、そんなに全生徒にうまく行くわけもなく…。ちなみに、一度でもドライブ状態(あるいはそれに似たもの)を経験したら、次にそこに入るのはそんなに難しくないみたいですよ。ただし「面白くないと俺はゾーンには入らない」「結果が出ないと興味がなくなる」的なことを言う生徒もいるくらいなので、学習内容や結果はとても大事ですね。
上手く機能するととんでもない加速装置
アニメなどではこのゾーン状態やドライブ状態は、奇跡的な能力を出すシーンとして描かれていますね。同様に、勉強のときでも、このドライブ状態はものすごい学習効率が高くなっています。うまく表現できないのですが、流れ作業的に問題量をこなす、というレベルの理解とは格段に違っている印象です。
例をいくつか紹介したいのですが、まず1人目。ある生徒は1つの問題を解くうえで「この数字がこう変わっていたら答えはどうなるんだ?」「この設定がこうなっていれば?」「これはこういう方向にもっていけないか?」「この視点からのアプローチは適用できないのか?どうしたら適用できるようになるんだ」などの問いを、自分で発して解いていました。もちろん私は「そう解きなさい」とは指導しておりません。彼はこの1問から通常で得られるもの以上のものを得ているような気がします。じゃあ日ごろの勉強で彼のような「1つの問題からほかの問題を考えよう」的なことをさせればいいじゃん、となるのですが、これがうまく行かないんですよね~。同じ問題から違う問題を「考えさせる」と、これは既に流れ作業の1つになるのかな~と。少し言葉が足りないような気もしますが、自分なりのカテゴリーづくりが大切なんだろうな、と思う次第です。これはドライブ状態に入っていないとできないのかな~と。
もうひとり。彼女は「テスト前だから先生、プリントちょうだい」と言ってきたので最初の2~3回は3枚とか5枚を渡していたのですが、即日で解いてくるんですね。ですので思い切って(というかいたずら心半分で)65枚渡してみました。全テスト範囲の彼女のレベルに合った、ややムズめの問題です。すると4~5日で終わらせてきて、「もうちょっと難しいものが欲しい」とおかわり宣言です(笑)。私はもう椅子から転げ落ちるしかなかった。彼女は自宅でドライブ状態になっているのではないか、と私は推測しています。毎日約15枚をこなすことになりますが、家族の方針で2~3時間しか勉強に充てられないとのこと。1枚12分だと?このプリントはかなりムズいはずなんだが・・・。ちなみに彼女のご家族は、彼女が勉強しているときは一切の介入・干渉をせず、物音にも気をつけていらっしゃるということです。
この二人はともに、集中が始まると時間の経過を忘れる、という傾向があります。また一人じゃないとドライブに入らない、と考えています。この状態を「IQが高いから」という一言で終わらせるのは少し早いかな~と感じています。そもそも「IQが高い」にも色々なものが含まれていると感じています。もちろん彼らはもともと持っていたものも高かったんだろうとは思います。しかし年齢を経るごとに特定のアプローチを徹底的に深めて行くことで、特定の能力だけ飛躍的に伸びて来たんだと思います。それは前者なら引き出しの多さ(どんな問題でも解ける)、後者なら高速処理能力(一般的な途中式をとてつもないレベルで省くことができる)、とでもなるのでしょうか。
入り方よりその状態を知っているか
こう話すと「じゃあ親としてどうやったらドライブ状態に誘導できるのか教えろよ」という話になるんですが、残念ながら私にはよくわかりません。私はそういう状態があるという事、そういう状態に入れるお子さんがいるという事、ぐらいしかわかりません。そして「この生徒はドライブ状態に入れるのではないか」、と少し判断できるかもしれないという感じです。しかし同時に、お子さんがドライブ状態に入れそうなのにそれを邪魔する親御様がいる、ということも何度か経験しております。ドライブ状態は、いわば過集中により周りが見えなくなっている状態です。そのことは(語弊がありますが)「常識から外れているかもしれない状態」です。しかし「世間一般でいう所のお利口さんであること」を親御さんが要求する場合、この「常識から外れている状態」というのは「矯正すべき欠点」と映ります。夕食の時間なのに呼んでも部屋から出ないお子さんが実はドライブ状態だった時、それを中断させて部屋に来させると、常識をもったお子さんにはなりますが大きな何かを失っているような気もします。社会の枠にはまるように器を小さく小さくきれいな形に整形されているのでしょうか。ただ家庭の外であれば必ずそういった常識は守ることが要求されますので、こういった内容(集団生活で必要なこと)の学習期間は十分に用意されていると考えます。しかし自宅内でのドライブ状態は、その後の大きな飛躍の可能性を考えると矯正しなくてはならないこと、ではないような気もします。そこはご家庭が決めることですけど。私が多くのお子さんを指導させていただいてきて思うのは、親御様がこのことを知っているか知らないかでお子さんの成長速度や限界点が変わってくるだろうな、という点です。親御様が知っているか、知らないか、とても大事です。この項で言うと、ドライブ状態というのがあること、うちの子もドライブ状態になる可能性があるのか、すでにドライブ状態になる時があるのではないか、と意識できる状態にしておくことが重要です。「塾に入れときゃいい」「ドリルや問題集をやらせとけばいい」という「一般論」以外の所の知識、あればあるほどお子様の成長速度を早めたり、成長の限界点を引き上げたり、逆に今まで知らず知らずのうちにやっていた成長の阻害を減らせます。ぜひおうちでもお子さんをじっくり見てあげてくださいね。全てのお子さんは限りない可能性の宝庫です。すべてのお子さんに幸がありますよう、心からお祈りしております。