火事場の馬鹿力

2023年4月24日

はじめに

少し前、といってもまたいつも通り10年15年くらい前でしょうか、「オレは本気出していないだけ」という言葉がはやりましたね。私の周りにも、「このままだとヤバいね~」という評価を受けているにもかかわらず、なんか自信ありげな空気を隠し切れない生徒がいます。そしてそれを隠すどころか「本気出してないだけだから」的なことをのたまう生徒もおりまして、指導側としてはもう心拍数が上がりっぱなしなんです。しかし本気を出していない人、いつになったら本気を出すんでしょうねぇ・・・。

まぐれか?実力か?

高校入試前の最後の模擬試験って、多くはその2か月前に実施されるものと思います。その最後の模試で落胆を隠しきれない合否判定をもらったのに、直前期(12月~2月)の2か月で急にググっと点数が上がる生徒がほんの一部にいます。現場感覚では20人に1人ぐらい。今まで私は、この生徒のように直前になって急に上がる生徒は「単なるまぐれでしかない」「たまにいるけど、こちらがどうこうできるタイプではない」という程度の認識で、あまり気にも留めておりませんでした。しかし先日「あ、この現象って、まぐれじゃないかもねぇ」「実はもっといるんじゃないの?」「指導者側が意図的に発現させることできるかも」と確信めいた気づきがあったので報告しますね。誰も聞いてませんけど。

火事場の馬鹿力という「本気」

数年前の話ですが、彼女はいつ話しかけても「あ~、はい」「まじッスか」の繰り返しになるような、いわゆる「ぼ~っ」とした生徒です。授業をした後でも分かってるのか分かっていないのかいまいち手ごたえがなく、定期テストでもそこそこの点でおさまります。そして夏や直前模試でもそこそこの点で「再考を要す」的な判定をもらってきました。さあどうやって慰めながら志望校を下げてもらおうかなと話をしたところ、本人はいたって自信満々で妥協する気はなさそうです。まだ書類提出には時間があるので「ここからが勝負だぞ」と励ましつつ、「最終的に私から見て厳しそうだと判断したらちょっとはっきり言うからね、考えたほうがいいかもね~」とだけ含みを持たせておきました。そしてその後、入試1か月前あたりに過去問をやってもらうと、まあ驚きの連続。信じがたい、おかしな高得点を連発しながら伸びて行きました。

いままでが本気ではなかっただけ

もちろんおかしいなと思って彼女と話をしました。解いたことあるのか?カンニングか?丸付け適当か?などなど。しかし本人は「本気出しただけっす」と往年の名ゼリフを言うだけです。わたしはもちろん全く信じていませんから、「これは彼女レベルなら正解するのはムズいだろう」と思われる問題をいくつか説明してもらいました。それでやっと納得しました。なんと、お金を払っている個別授業はもちろん、定期テストも、「これが最後ですよ」と予告した模擬試験でさえも「本気ではなかった」んです。私が担当した10か月間、彼女は一度も私に本気を見せたことがなかったんです。だから彼女の最高の状態を私は完全に見誤っておりました。「は?」ですよね。私も「どういうことやねん」状態でした。授業中も難しいものを説明しても「あ、はい、わかりました」とは言っていたのですが定期テストや模試ではいまいち取れなかったので「そこが限界点」と勝手に見込んでいました。

火事場の馬鹿力は突然に来ました

うまく伝わるかわかりませんが、彼女に話を聞いた限りでは「今までは瞬発力だけで解いていた」、という印象でしょうか。知っているか知らないか、一瞬でできるかできないか、で問題を解きテストを終わっていたようです。ですから、角度計算など最初に思いついた解き方で出せなかったら、あるいは初見で解き方が思いつかなければ、もうさっさとあきらめて手を出していなかったんですね。確かに模試ではどの科目のときもラスト20分ぐらい眠っていました。そんな様子だったのが、直前の過去問アタックではしっかり考えるという事をしたようです。つまり「この解き方で無理ならこっちを使おう、このやり方も試そう、こっちからの方が出しやすいかも、この知識とあの知識を考慮すると選択肢aとcは消える、bは文章がおかしい(奈良時代に天皇が大名から指示されるという文脈になる、天皇の地位が最高じゃなくなるのはもっとあとだし、大名という呼び方も室町以降ですよね等々)」というような、「難関校に行くなら当たり前のアプローチ」を初めてやって見せたのでした。しかもこれを全教科で初めて実践し、「テストで時間が足りないのは久しぶり」とまで言っていました。これが彼女の「本気を出した」の正体だったのか、と。隠していたんではないと思います。ただめんどくさかっただけ、と。そこで私は思いました。この生徒、やっと追い詰められたんだな、と。日頃は出ない(あるいは出せない)馬鹿力が、やっと、本番前1か月半で出たんだな、と。これが彼女の「火事場の馬鹿力」だったのか、と。もちろん彼女はその後、最後の模試で「再考を要す」とされた第一志望校にしっかり合格しましたよ。指導する側が実はドキドキだったのは秘密ですけど。

こういう生徒もいる

日頃の小テストや授業を聞く態度は適当でも、「定期テストと模試は本気」、ということが私は当たり前だと思っていました。ほとんどの生徒がそうだと思います。しかし中にはこういうタイプもいるんだなと、改めて集団指導では見えない個性に対応する大切さを実感したケースでした。定期テストや模試ではまったく追いつめられるような気持ちにはならなかった、ということですね。ラスト1~2か月の過去問アタックが彼女の本気を引き出す火事場だったということです。生徒によってどこが火事場になるのか、何が彼女の馬鹿力の呼び水となるのか、どうすれば心の底から「ここは燃え尽きるほどやらなきゃ」とスイッチが入るのか、は違います。そもそも、このような火事場の馬鹿力を持ってるタイプなのか、どうかも見極めが必要です。火事場の馬鹿力を出せるタイプは一点集中タイプになるんでしょうけど、この生徒は特に欠点もなく適当でも十分こなせていたのでバランスタイプに見えていた、というのが見誤った理由、私が浅はかだった理由だと思います。

汎用性を高めればより多くの人に適用できる

彼女の場合は、「自分が本気を出していない」「自分が本気を出したらこの辺」というのをかなり正確に認識している珍しいタイプだったのでしょう。だから指導者が積極的に関わらなくても自分で伸びて行った感じです。惜しむらくは、彼女にとっての火事場をこちらがもっと事前に提供できなかったことが悔やまれはしますが。ただ、彼女が火事場の馬鹿力を意図的に出せるのなら、それを出せる人はもっといるのではないかと思ったりもしました。出し方を知らない、そういう力の存在を知らないだけ、という気もしてきております。火事場の馬鹿力の出し方も教えることが可能かどうか、少し検証してみたほうがいいかもですね。こんな「アニメの主人公が最後に進化するときに見せるような」最終兵器的な能力を、限られた人だけが持つ特殊能力、にしておくのはもったいないですよね。ただそこで考えられる手法は限られていますね。メンタル面でのアプローチはともかく、実質的には勉強時間を増やす、勉強中も内容や得点・理解度を管理する、的なことになりはしないか、と。こういうアプローチは一か月前に馬鹿力を引く出す上ではきっと間違っているんだな・・・。ん~、どうしたものか。もっとスマートな方法があるはずだな~。

火事場では新たな能力が開花するかも

だからといって、この一件からどんな生徒にも画一的に「あきらめるな」「最後まで振り絞って頑張れ」、と言いたいわけではありません。それは少し無責任かな、とは思います。個別指導なのに、「とりあえず全員頑張れ」は危険です。「受験直前」という特殊な時期でも気配りは忘れてはいけません。受験直前だからこそ自分で過度にプレッシャーをかけてしまうタイプがおり、彼らに「もっと頑張れ」「まだ足りない」はつぶしてしまう可能性もあります。この時期は、もっと広く深い所で生徒の変化を感じ取り、可能性を想定しておく必要があると思います。その点、彼女は、私が想定する以上にIQが高く、一点集中型だったということでしょう。そしてそれは彼女自身が自分で開花させた能力でもあります。もっと早く気付いてあげていれば…。でも早く気付いたからとそこからまたいらん環境整備をすると、逆に彼女にとってさらに窮屈になっていた可能性もあり…。でもそれを考慮して彼女のようなタイプが窮屈に感じない早めの環境整備の手法を考えるきっかけにして…、など今後のアイデアの源泉になりますですね。本当に彼女には、本来の力を十全に発揮する場所、そして最高に幸せになるステージに上がってもらいたいな、と切に思います。

おまけ

「受験直前期に新しく身につくものはない」とはよく言われることで、入試直前に新しいことを急いで身に付けさせることなど、極力控えることが主流ではあります。彼女のケースが最後でうまく行ったのは、100%本人の力です。ただ、このケースからは「追いつめられても、それを受け入れる環境がある時、まれに新しい能力が開花する」ということを私が学びました。もちろん成功率は低いですし、その経験が生かされるのはずっと後になるのかもしれません。しかし生徒が追いつめられているとき、指導者は生徒を信じること、指導者側が覚悟を決めること、生徒のあるがままを冷静に見ることなどができると、「この子、開花する(した)かも」という瞬間に立ち会えるのかもしれません。また一つ、楽しみが増えてしまいましたよ。


個別指導

Posted by tokashiki