落ちる所まで落とせば分かるのか?
多くの親御さんの悩み事に
・宿題をやらない
・やる気も成績がいまいち上がってこない
・何度説明しても理解しない、しようと努力しない
・ゲームばかりして家で勉強しない
・言っても聞かない、反抗や無視が返ってくる
等々がありますね。
多くの子どもたちは、「勉強する意味や目的」「自分が向上している満足感」「他者からの賞賛」など、実際には「やる気の素」となるエネルギーがあまり供給されない状態で頑張っています。
むしろ、「頑張らされている」と表現した方がいいかもしれません。
ご存知の通り、「やらなければならない」と他者に強制される圧力は、「やらなければならない」と自分で理解している義務感に比べると、頑張るエネルギーにはなりにくいですよ。最も高いのは「それ自体が面白い」ときと、「自分のレベルが上がっていくのがわかる」ときだと感じますが。
落ちる所まで落としてみましょう、ですと?
上記の症状に困り果てた親御さんや指導者が、頭を振り絞って提案する苦肉の策の1つに、
「一度、落ちる所まで落としてみる」
という手法があります。
「そうすれば目覚めるはず。」
「危機感を感じて目覚めざるを得ないはず。」
という期待や予想をもって・・・。
効果は期待できるのでしょうか?
結論を先に言うと、私がお子さんの指導者なら絶対おすすめしません。おすすめできない根拠は以下の4つです。
①まず、その受験や勉強は、本当にお子さんの希望していることなのか?
②そして、成績が落ちた時、本当にお子さんにとっての危機的状況を演出できるのか?「ゴーレム効果」(※)で終わるのではないか。
③そもそも、「お子さんの成績を意図的に放置して落とすだけ落とす」などという発想は、大人の傲慢ではないのか?お子さんが可哀そうじゃないかな~。
④その「大人の傲慢による目論見」が失敗に終わった場合、お子さんの失うものは計り知れないが、誰か責任の取れる者はいるのか?
この4点から、「落ちる所まで落とす」というやり方には賛成できません。
誰からも期待されない・称賛されないという状態にいる人は、本当にそんな程度の結果しか出せなくなるという現象。ピグマリオン効果の逆ですね。
お子さん本人が希望していることなのか?
お子さんが希望している受験であるなら、
落ちる所まで落とさなくても救いと解決手段は沢山思いつきます。
しかしお子さんがやらされている勉強であるのなら、
どん底に落ちても「自分のこと」として受け止めることはできません。
悲しくもないし危機感も感じません。
叱られたから悲しい・怖いのであって、成績が悪い自分に悔しいわけではないんです。
「なんで?自分の成績なのに惨めじゃないの?恥ずかしくないの?〇〇中学に行きたくないの?」
と言いたいのはわかります。でもこれは親御さんの気持ちです。
こういう子は親御さんのこういう気持ちに「付き合わされている」んです。
ですから、自分の弱点や長所はおろか自分の成績すら興味がないことが多く
「〇〇をすべき」が全く整理されておりません。
自分がやりたいことでもないし、やらないと何か非常にまずい状況になるわけでもない。
自分の成績ですが、「頑張らなかった自分の結果」とは受け止めていません。
しかも結果が悪ければ悪いほどもっと逃避します。
「そんなことは知らない、お母さんがやれって言ったんでしょ。私も一生懸命やったし。」
そしてちょっと叱られて気まずい空気を経験すれば、いつの間にかまた日常が戻っている・・・。
これの繰り返しなら、もちろんどん底に落ちた成績は上がらないと思います。
まあお子さんが「そんなこと知らない、仕方ない」等、反論できるだけ「まし」ではありますね。
ですから「やる気がない」「勉強しない」系の対策として、(ショック療法的に)「落ちる所まで落とす」という発想は、逆だと思います。
本当は、勉強に関してお子さんを取り巻く大人たちの接し方が今までほとんどが間違っていた、だから現状がこうなっている、という発想をすべきだと思います。
ただこれを認めると、この先ものすごい長い戦いになるんですよね、特に親御さんにとっては。
それは認めたくない、だから「子どものせい」にもしたくなる、その気持ちはこの仕事をしていて本当によくわかります。大丈夫です、改善方法はいくらでもありますし、まだお子さんは10代前半じゃないですか。
危機感を感じさせる整備はできるのか?
先述の通り、「成績が落ちてきたらさすがにヤバいと思うだろう」という予想もだいたい外れます(笑)。
成績が悪い=非常にヤバいと感じる、がすべてのお子さんに成り立つとは限りません。
これが成り立つのは、自分で作った目標があるお子さんのみです。
ヤバい、どん底じゃないか、と思っているのは大人側だけです。
お子さんの本心では
「偏差値34?、へ~、そうなんだ~。俺ってバカだね。でもまあどうでもいいか~」
「私はまだ本気出していないだけだし」「やれっていうからやっただけだし」
っていう返答が返ってくるかもですね。
それは困るということで、じゃあ大人側からヤバい状況を作りましょうか、なんて話になりますよね。
例えば、「危機を感じたら頑張る」というのは動物の本能とでもいうべき部分ですよね。
空腹で死にそうになったら死に物狂いで獲物を捕るし、食べられそうになったら死に物狂いで逃げ回りますよね、「命に関わる一大事」ですからね。
そこでお子さんにも危機感や罰を与えよう、ということでよくあるのが
「順位や偏差値が〇〇以下になったら勉強時間を増やす、とかゲーム時間を減らす」
等を掲げることになると思います。
でも実際の所、これ、上記の「命に関わる一大事」と比較して、恐ろしいです?
マジでヤバい状況です?
これらはお子さんが心底感じるような危機的状況を演出ないし整備しているとは言えません。
偏差値が40を切ろうが、E判定が出ようが、自分の戦いと思っていない限りは
お子さんは「もうお先真っ暗」、と思っていないんですよ。
この場合も同じく、ちょっと我慢をすればいつの間にかまた日常が戻っている・・・。
勉強時間が増えることやゲーム時間が減ることは、命にかかわったりするような喫緊の危機的状況でもありませんしね。
ちなみに「ゴーレム効果」というのは、先述の通り「否定的な評価を受け続けると本当にだめな人間に育ってしまう」という意味でもあります。個別指導のケースで言いますと、悪い成績を取り続け周囲からも批判を受け続けると、本当に自分はバカと思ってしまい成績の上昇が非常に困難になる、時間が掛かる、という現象です。この場合は自信を取り戻すこと、もっといえば批判している元凶を探しそれを取り除くことから始めなければなりません。塾でいくら「君は優秀」という根拠のある数字を示して家に帰しても、「そんなもん誰でもできる」「これくらい満点取れんのか」「くだらない指導者だな」などと言う存在(つまり優秀さを否定する存在)がいたら、恐らく週5で通っても伸びませんよ~。それを回避するテクニックもいくつかありはしますけど。
危機感を感じさせる極端な例ということで思い出したことがあります。脱線します。
私が中学受験で塾に入れられた時、合格体験記でこんなことを書いていた先輩がいらっしゃいました。文面は正確ではありませんが、内容は鮮烈に覚えているので紹介します。
私はそれまであまり勉強をやる気が起きませんでしたが、ある出来事がきっかけで生まれ変わることができました。
ある日自宅に戻ると祖母が怒った口調で「この試験の成績は何?これじゃ〇〇中学に受かるなんて無理よ」と問い詰めてきました。
そこで私は「そんなこと言ったってそんなに行きたいわけでもないし、それなりに頑張ったから仕方ないよ」と返しました。
すると祖母はもっと怒り、「そんな程度の気持ちなんだったら行かなくてよろしい。地元の中学に行けばよろしい」と言って私が使っていた塾の参考書や問題集、ノートを取り出して私の目の前で豪快に破り始め、それどころか庭の焚火(たきび)に無言ですべて投げ入れていきました。
私は最初は「何をするの、返して」と抵抗しましたが、全く効果はなく簡単に振りほどかれました。
抵抗をあきらめたあと、祖母がノートを破りながら「こんな無駄なものに高い金を払わせて」と私をののしる声を私はじっと聴いていました。そしてその時の私には、焚火に投げ入れられて燃えていく一部始終を涙ながらに見守るしかできませんでした。
そのときに「何ということをしたんだ、私は」とハタと気づきました。
その日からです、私が本気で勉強しようと決意したのは・・・・。
中略(と言いますか、忘れました)
おばあちゃん、ありがとう。
さて、この文章をどう思われますか。
私は当時小学4~5年でしたが、ひどいことをするもんだと思ったのを覚えています。
さて、この先輩が本気で勉強しなければならないと思ったのは、自分の希望をかなえる為でしょうか?
この子はひょっとして祖母のことを「自分の命の危険を感じさせる存在」として捉えたのではないか、そう思えてなりません。
「私が合格しないと、この人は私を全否定する、すべてを奪う・・・」と。
今になっての分析ですけどね。
この祖母とされる方は恐らく明治~大正の人かなとは思うんですけど、まあ強烈ですよね。
命の危険を感じさせるにはこれくらいやらないといけないのかなぁ、と考えさせられます。
恐怖支配による受験勉強に映ります。
どん底に落とさせる、というからにはこれくらいやる大人の覚悟が必要、なのかもしれません。
合格体験記に記載があったくらいでしたから(その塾には千人単位の塾生がいました)、おそらくこの先輩はすごく有名なところに合格したんだと思います。
ちなみに「高い金を払わせて・・・」云々のくだりがありますが、この「恐怖体験」で必要な金額は、その時使っているテキストやノート類をもう一度買う程度で済むと思うので3万円とか5万円ではないかと思います。個別指導や家庭教師にお願いして1からやる気育成と弱点克服、カウンセリング等にお金をかけることと比べると、コストパフォーマンスは非常に高いと言えるかもしれませんね。都心部の個別指導で週4なら、5万円なんて1か月で飛んでいきそうですね。
ただ、この先輩はいつか気づくかもしれませんね、あの祖母の行為は何だったのだろうか、と。ただのパフォーマンスでしかなかったのではないか、と。結果うまく行ったなら後日笑って済ませることができるかもしれません。でもこの後どんどん悪化の方向に進んだら、後日「あれがきっかけだった」となり修復できない傷となるかもしれません。
こんなギャンブル、できますか?私は絶対にお勧めしませんよ。
大人側がお子さんに危機的な状況を演出する、という場合、大人側にもかなりの覚悟が必要となりますし、なおかつ失敗したら双方に大きな傷が残る可能性があり、それは「修復されることのないもの」となるかもしれません。お勧めしない理由はそこにあります。
やる気ってどこから来るの?
人が本気になるときは
・自分のレベルの向上が自分で分かる時
・自分の優秀さを証明できるとき
・周りにすげぇと言われるとき
・周りの応援が本物であると思えた時
・それ自体が本当に楽しいとき
・自分が欲しいと思うものを努力や工夫次第で取れると感じる時
・自分の絶対に失いたくない大切なものを失う時、守る時
・ライバルがいる時(この人には負けたくない)
・自分が欲しいと考える報酬がある時
パッと挙げられるものを挙げてみましたが、こういう条件を満たした時に本気になり、やる気が出ると私は考えています。(心理学の世界でいろいろな実験がされていて、そのあたりの書籍もたくさん出ていますからぜひお読みになってくださいね。手始めに5~10冊ぐらいを。)
そしてこれらの条件が重複すればするほどやる気がみなぎってくるのではないでしょうか。
親御さんは意図してこういう状況を演出することが大きな仕事であり、
ハイレベルなお子さんを育てる養育能力の1つです。
親御さんや指導者は、これらをうまく組み合わせ、長期的な計画を立てながら、やる気と能力を引き出していったり、無気力と成績不振の原因を探っていったりするのではないでしょうか。
ただし絶対的に必要な条件は、本人がそれを望んでいるのか、という点がかなりの領域を占めることは間違いありません。ですから親御さんはまずここをクリアするためにエリート教育を始めることが必要となります。ここを満たすこと、満たすと予想できるような計画を立てること、が出発点です。
大人の傲慢では?
三つ目として、「親御さんや指導者が意図的にお子さんの成績を下げさせる」「失敗するのを眺めながら、失敗してから口出しをする、手助けをしてやる振りをする」という行為に、私は多少の「大人の傲慢」を感じます。
成績は良くても悪くても、お子さんの本来の姿です。
指導する側と親御さんがその結果を過不足なく受け止めて、そのお子さんに最も近くで接し、強い影響を与える大人として謙虚に分析すべきです。
特に「中学受験は親(口出しする方の親)と塾で決まる」と言われて久しく、
私もそれにはほぼ同意します。
つまり、中学受験の成否は大人側にあります。
しかし「落ちる所まで落とす」という考えは、お子さん本人の「やる気」という最も根本的な部分で、お子さんの責任にし、お子さんの力に依存しています。そもそもお子さんのやる気は、周囲の大人をはじめとする「環境」で育成される部分が大きいですからね。
「成績が悪い、やる気もない」と評価されながら成績がさらに落ちて行くとき、
お子さんは「さらなる虚無感、絶望、自己否定、自己嫌悪」を感じています。
「お母さんうるさい」なんて、この絶望と比べると小さな反抗程度でしかありません。
自分の能力の低さもそうですし、期待に応えられない無能感・無力感を増幅する作用しかありません。
そして年を経て少し社会がわかってくると、親御さんへの不信・軽視も出てきます。
放置することでやる気に火が付く、などということは非常にまれ、と思いますよ。
いや、やる気になる子がいたよ、という場合、よくよく聞くと
「落ちる所まで放置したこと」とは別の要因、例えば「介入頻度が劇的に下がって自分のペースでできた」「はじめて親と将来のことについて真剣に話した」、などがきっかけであることが多いですね。
だとすれば成績を一回落とすなんてまどろっこしいことしなくてもよかったんですよね。
失敗したら誰が責任を取るのか?取れるのか?
お子さんの指導に限らず、戦略を練る時は必ず「うまく行かなかったときのフォロー方法と第2・第3の策」を準備しておく方が賢明です。「やる気もないし成績も上がらないから、一度どん底まで落としてみて目覚めさせるしかない」というのは仮設であり実験ですからね。この実験に慣れていて、失敗時のフォローと第2案・第3案を発動させたことがある人はかなり少ないと思います。
つまり、「落ちる所まで落としてみる」という戦略の場合、かなりギャンブルな部分があるので、万が一にもやってみることになったとしたら、「うまく行かなかった時」をしっかり考えておくことが必要ではないでしょうか。うまく行かなかったとき、その被害者・犠牲者は、「自己否定の蓄積」を受けたお子さん自身だと思うのです。
その犠牲者であるお子さんも少し社会がわかってくると、その犯人を親御さんや大人、社会と見なすかもしれません。荒々しい、手の付けようがない反抗期の始まりですね。あるいはメンタルに来るかもしれませんね。
お子さんにこのような「失敗の遺産」を背負わせてしまった場合、だれが責任をとれるのでしょうか?
塾をやめたらいいじゃん
それでこの失敗の遺産はなくなりますか?
それは「これ以上(この場所では)傷を深めない」という処置にしかならないのでは?
精神的な傷は治るのにかなり時間を要し、最悪の場合一生治らないこともよく指摘されています。「トラウマ」などがそれですね。
そもそも精神的な傷に対して「責任を取る」ということが可能なのでしょうか?
そこから自由に育てればいいじゃん
失ったもの・傷つけたものを元の状態に戻す、本来得られていたはずの利益を補償するなどということが「責任を取るということ」だとしたら、幼いときに刷り込んでしまった「一生治らない」劣等感は「責任が取れるもの」なのでしょうか?
そのような一連の強制や束縛により本来得られていたであろう諸能力・人間関係・社会的地位は親御さんが補償できるのでしょうか?
それが子育てというものじゃん?
じゃあお猿さんの時代から続いてきた子育てって、「無責任なもの」なの?
失敗しても「仕方ない」で済むものなの?
そんなはずはありません。
先述した通り、小さかったお子さんはやがて大きくなり、社会に出て子をつくり気づきますよ、
「この劣等感を植え付けたのが誰なのか」ということを。そして自分が受けて来た「育てられ方」を評価できる年齢になってきます。そう、いまやっている親御様の子育てがあと30年後、我が子によって評価されるんです。
その時、お子さんの人生がうまく行っていれば笑い話で終わります。
でもうまく行ってなかったとしたら・・・、怖くなってきません?(笑)
なぜそんなに脅すのかと言いますと、これは私の体験です。
上手く言えませんが、親御さん側に正しい「覚悟と努力と謙虚さ」が足りない強制は、いずれバレると思います。
そしてその場合、責任が取れるかどうかは、お子さんが握っているということになるでしょう。
責任が取れるかどうかは、親御さんには実は決める権利がない、と思います。
ほとんどの家庭は結局うまく行くんです、やりすぎない限りはね。
でもどこがその限界ラインになるかは、ご家庭によって、お子さんによって異なります。
我が家がその例外の家庭になったら、ということも頭の片隅に置いておいてください。
まとめ
ということで脱線に次ぐ脱線でしたが
・落ちる所まで落としても、本人が危機感を感じなければ何の意味もないどころか一生治らない傷を背負わせることになるかもしれない。
・落ちる所まで落とすという発想は大人の傲慢であり、本来なら今までの私たちのやり方が間違っていたと捉え直すべきである。
・強制するならその責任は強制する側にあり、次の策を準備しておかないと「失敗しました、責任は取れません」となる。このことは、数十年後に我が子に評価される。
という3点を結論としてまとめておきます。
何が正しいのか分からない場合は専門家に聞きながらご自身でも勉強をして努力しないと、
「お子さんの輝く未来の為」としながら、実はお子さんをつぶすことをやっているかもしれません。
そんなことがないよう、お子さんの素晴らしい未来が全うできるよう心より願っております。