魔法の言葉なんてあるの?
ある一言がきっかけで人は大きく変わることがある、なんてきいたことがありませんか?
お子さんの成績や勉強に対する姿勢などでも、そういう話がよく出ますよね。
でもこれって、現実的によくある話なんでしょうか?
お子さんがそう簡単に言葉1つで「生まれ変わる」のでしょうか?
そもそも、そんな話、そこら辺に転がっていて
いつでもどこでも発生させることができるのでしょうか?
変化にも2種類ある
私は学校現場・個別指導において長く教育業界に携わってきて、勉強はもちろん、部活や進路、係、行事等の活動の中で、色々な生徒の色々な「生まれ変わりの瞬間」に何度か出会ったことがあります。今でも鮮明に覚えています。「超新星爆発」、という表現がいいのかな。子どもたちの輝く力はこんなにも神々しいのか、と思うくらい、こちらも感動します。例えば、本当に冴えない(すいません)生徒が部活で有名人になって追っかけがついたり、将来のことを何も考えていなかったいわゆる落ちこぼれ生徒が生徒会長に立候補して計画通り一流大学に推薦で合格したり・・・。特に勉強面では個別指導をさせていただいている関係上それこそ例を挙げるときりがありません。しかし急に生まれ変わる彼らを近くで見てきた身としては、彼らは何か1つの言葉がきっかけで生まれ変わった、という印象はあまりないんですよね。どちらかというと、生まれ変わるための条件を(知ってか知らずか)1つずつクリアして、ある時すべての条件がそろったときに一気に変化が起きた、という印象です。通常は少しずつ条件がそろって目に見えて少しずつ良くなっていくケース(いわゆる「普通のレベルアップ」)が多いのですが、条件がすべてそろわないと変化が始まらないケースがある、ということでしょうか。後者の場合がこの「急に生まれ変わる」というケースであり、変化が急激なので印象的です。
「いや、そうじゃなくて何の前触れもなく急に変わったんだよ」、というおっしゃる方もいると思うのですが、それがもし本当なら「偶然」というやつ、つまり他者が意図的・計画的にできるものではない、のでしょうね。偶然はどんな優秀な指導者でも必然的に起こすことはできません(笑)。禅問答みたいになってますけど。ただ先述した通り、レベルアップさせること、そしてそれが急に始まる「生まれ変わること」はある程度意図的・計画的に可能です。
成長の前にはレディネスが必要
レベルアップには精神的なものでも能力の部分でも、その前の段階の条件となる部分(これができるから次にこれができるようになる、今この状態だから次にこうすればこの状態になれる)がクリアされていることが必要です。具体的には、やる気が出るためにはその勉強の必要性や自分自身の有能感・自己肯定感などをもっていること、方程式(計算のみ)を解くためには四則演算はもちろん正負の計算と文字式が出来ていることなどがその条件となります(詳しくは別の項で)。このような、成長に必要な前提条件のことをレディネスと言います。このレディネスは普通に生活しているだけで自然に身につくことと、意図的に行動しないと(学校で勉強する、○○な子に育つために親御さんが関わり方を工夫するなど)身につかないことがあります。またA君の家では自然に身につくことととB君の家でのそれは異なることも良くあります。
ある一言がきっかけで急に生まれ変わる、という現象の多くは、実際にはレディネスが形成された状態のときに、タイミングよく、最後の一押しをする最も良い言葉を掛けたときに起きる現象だと思います。でもレディネスが形成されているかどうかは、相当しっかりお子さんを見ておかなければ把握できない部分です。そしてどの言葉が最後の一押しとなるかの判断も、お子さんの性格や考え、学習内容の仕上がり具合で選択肢は無限にあります。このあたりのち密な計算なしに、たまたま放った言葉のあとに生まれ変わったとしたら、それは魔法の言葉ではありますが、再現性はない、と思います。つまり、A君に効果があった魔法の言葉は、B君に同じ効果はまず期待できない、と考えるべきです。魔法の言葉の本を買って単純に1つ目から試す(そして「うちの子、何を言っても効果がない」と嘆く)より、お子さんをしっかり見て、お子さんを見ている指導者としっかり連携して、心理学をしっかり勉強するのが本筋です。「魔法の言葉」は一種の飛び道具として参考にする、程度が良いと思いますよ。お子さんにとっては「誰に言ってもらうか」もかなり大事ですからね。
魔法の言葉は偶然の産物
急激な変化というものは、必要な最後のワンピースがあと1つを残してほかがすべて出来上がっている状態のときに、最後のワンピースが入ったら起きる現象だと思います。実際の所、それぞれのお子さんの最後のワンピースはそのお子さんを長く見ている立場の者でもつかみ切れないことが多いです。最後のワンピースであるかどうかすらなかなかつかめません。そのような魔法に頼ることなく、当たり前のことを当たり前に進めて行く「王道」を進むことがやはり最大の近道、になると思います。そのなかで、あとなって「あれは魔法だった」と気づくことはあると思いますけどね。ですので、「準備できる魔法の言葉なんてない」と、結論にしたいと思います。